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  • 唯一、ゲオルギア
    ジョージアの古い歌
    珍しい花の歌
    鋳鉄
    トスカーナの小さな修道院
    そして光ありき
    月の寵児たち
  • ケイコ 目を澄ませて
    夜、鳥たちが啼く
    ミスター・ランズベルギス
    愛する人に伝える言葉
    ある秘密
    あの娘は知らない
    勾留
  • ベルモンドの怪盗二十面相
    薔薇のスタビスキー
    勝負をつけろ
    さかなのこ
    キングメーカー 大統領を作った男
    映画はアリスから始まった
    戦争と女の顔
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    • そして光ありき
      『蝶採り』(1992年)でナダル・ブランシェが矢で魚を捕るのは、もしかしたら『そして光ありき』(1989年)の続きかもしれない。イオセリアーニは同じモチーフを好んで繰り返し使う。他には毛皮の女とか爆発とか。派手な鳥もよく出てくるが、これも『そして光ありき』からかもしれない。
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    • ジョージアの古い歌
      『ジョージアの古い歌』、見た。ジョージア独特の多声合唱は男声合唱だが、サメグレロのパートだけ女性と思しき声が聞こえた。画面には映らない。外国人からすると大きな発見に思われるので、ぜひ映像も記録してほしかったが、タブーなのだろうか。音だけでも収めることに成功した、ということなのか。
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    • 鋳鉄
      『鋳鉄』(承前)結びつけなくてもいいが、工員がサイコロ状に切った肉を串焼きにして食べている光景は『群盗、第七章』のラストに通じる。イオセリアーニは同じモチーフを意識的に繰り返し使う人なので、少なくとも煙突と煙草と送風機の前で服を乾かすことは、『月曜日に乾杯!』は『鋳鉄』の続き。
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    • 鋳鉄
      『鋳鉄』(承前)あれはイオセリアーニが母国の工場で見た光景だったのか。工場内のあちこちが燃えさかっているのに煙草を吸っているのも、『月曜日に乾杯!』の演出の発端になっているかもしれない。『月曜日~』においては、煙突と煙草は重なるものとして描かれている。これは無理に(続く)
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    • 鋳鉄
      『鋳鉄』、見た。冒頭からすぐに、ルスタヴィ冶金工場の巨大な煙突が一本画面の中心に映る。これは『月曜日に乾杯!』の冒頭と一致する。加えて、強力な送風機のようなものの前で服を脱いで乾かすという光景も『月曜日に乾杯!』で反復される。『月曜日~』を見た時に面白い演出だと思ったが、(続く)
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    • 唯一、ゲオルギア
      イオセリアーニの映画に何度か出てくるカヒゼ(カヒッゼとも。『唯一、ゲオルギア』と『群盗、第七章』に登場)の息子は腹踊りみたいな指揮をする指揮者になったようだ。>RT
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    • 唯一、ゲオルギア
      『群盗、第七章』。指揮者役で、『唯一、ゲオルギア』のラストにも出てくるジャンスク・カヒゼが出てくる。映画に指揮者が出てくるのはよくあるが、本職の人が出てくることはかなり少ない。イオセリアーニはトビリシ音楽院の作曲科を出ており、かつカヒゼとは年が二つ違い。親交があったのだろう。
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    • そして光ありき
      『そして光ありき』(承前)イオセリアーニの映画はそもそもストーリー性が弱いだが、ストーリーと関係なく一箇所だけドイツ語を入れる「ルール」があり、本作でもそれは実行されている。しかし舞台がセネガルで(旧宗主国はフランス)、無関係さが特に際立っている。監督本人が出てくるのもこの場面。
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    • そして光ありき
      『そして光ありき』(承前)同化を強要される。社会諷刺だがいかにも滑稽な光景が単調に三つ繰り返されるので脱力感があり、このあたりはイオセリアーニ的でもあり、ジョージア映画的でもある。イオセリアーニは自作において定番のモチーフをかなり頻繁に用いるが、その傾向はかなり強い。(続く)
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    • そして光ありき
      『そして光ありき』(承前)イオセリアーニらしい滑稽味がある。妻を探すイェレは行く先々でイスラム化した集団とキリスト教化した集団と、独裁者の礼賛をさせられている人々を見る。しかも通りかかる度に、イェレはそこに合わせて帽子をかぶらされたり洋服を着させられたり、(続く)
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    • そして光ありき
      『そして光ありき』(承前)述べているそうなので、その言葉に従うならば、全て伝承などに言われのあることなのだろう。雨乞いに使われた像がラストでは土産物になってしまうのは、先住民が「文明」に同化ないし取り込まれる際にどこでも見られる光景だ。終わりの方の「イェレの旅」は(続く)
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    • そして光ありき
      『そして光ありき』、見た。舞台はセネガル。切られた首をつなぐと蘇生するし、息を吹けばそれが大風になって人を吹き飛ばすし、雨乞いをすれば雨が降り、もういいと祈れば雨がやむので、ファンタジーだ。イオセリアーニは「ディオラ族の礼儀や慣習に反することは絶対しなかった」と(続く)
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    • 月の寵児たち
      『月の寵児たち』(承前)フランス期イオセリアーニの諸作のなかでも本作の特徴は、時間が比較的自由に動いている感じがするところだろうか。『蝶採り』でも幽体が出てきて過去が入り込んでくるが、時間軸が動くわけではない。『蝶採り』との共通点は、「家具は絶対に壊れる」こと。ここは可笑しい。
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    • 月の寵児たち
      『月の寵児たち』(承前)出揃っているが、唯一異なるのは室内の光と影の具合。これは撮影監督にまだルプシャンスキーを得ていないから。フランス期イオセリアーニは、あえて言えば「同じ」映画を繰り返し撮ったのではないかと思うが、その傾向が明確化するのは『蝶採り』以降ということになるか。(続
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    • トスカーナの小さな修道院
      『素敵な歌と舟はゆく』(承前)言えるだろうか。『トスカーナの小さな修道院』を見た後なので、劇映画を撮ってもドキュメンタリー映画を撮っても同じ画面の人なんだな、と思う。ちょっと徹底して男性目線なのかなとも感じたが、私が気にしすぎなだけだろうか。一般的な評価はどうなのか少し気になる。
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    • トスカーナの小さな修道院
      『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』(承前)終わりの方にはストーリーっぽい要素も少しあり、イオセリアーニが銃を撃っている。『トスカーナの小さな修道院』と同じなのだが、毛皮を着た女性が多く映る。単に当時がそうだったということか、イオセリアーニが毛皮を(続く)
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    • トスカーナの小さな修道院
      『トスカーナの小さな修道院』(承前)ここはワイズマンとは異なるところか。イオセリアーニはイタリアでも酒席での男声合唱を見つけてカメラに収めており、これはある意味でジョージアの刻印かもしれない。後半の火祭りの場面だけはフェリーニを感じた。映画においてはイタリアとはフェリーニなのか。
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    • トスカーナの小さな修道院
      『トスカーナの小さな修道院』(承前)画面が続くこともあるのだが全体としてはそのような紋切り型にはなっておらず、かついかにもドキュメンタリーといった画面とも違い、イオセリアーニの独自性がここにも見られるのではないか。あと、ここでも本人が登場する場面があり、(続く)
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    • トスカーナの小さな修道院
      『トスカーナの小さな修道院』(1988年)、見た。イオセリアーニはドキュメンタリー作家ではないはずだが、意外にもワイズマンに通ずるところがある。テロップがなくインタビューがない。BGMはあるようだが、環境音かなと思わせる作り。画面はあまり角度をつけずに資料映像みたいな(続く)
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    • 唯一、ゲオルギア
      ずっとシェワルナゼだと思ってきたが、原音に近いのは「シェヴァルドナゼ」になるようだ。『唯一、ゲオルギア』にはシェヴァルドナゼのインタビューが何度か出てくる。ネクタイが何回か変わっているので、それなりに時間をかけて収録したのだろう。(続く)
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